073. 無知



「婆様、久しぶり」
 ひょっこり、と顔を出したフェリアに、キャヴェリン=ハリエットは右眉を引き上げる。
「確かに久しぶりだね」
「うん」
 特に何か言うでもなく、薬草を干す作業を継続させる彼女に、フェリアは少し安堵したように傍に寄ってくる。
「手伝ってもいい?」
 ものによっては素手で触ってはいけないもの、取り扱いに注意を要するものがあることを教え込まれているので、勝手に手を出すことはしない。
「あぁ、じゃあ、これくらいの束にして渡しておくれ」
「うんっ」
 いつもは喧しいくらい喋る彼女だが、今日は二月近く勝手に修行を放り出していたせいか、黙々と作業を行う。
「坊主はどうした?」
「うん。おっちゃんのところに行きたそうだったから、置いてきた」
 坊主こと妖精の一種である薄羽族のフェリックは、いつも彼女の傍にいて、彼女と一緒に魔法の修行をしてきた。
 少なくとも、ハリエット自身はフェリア一人と接したことはない。
 特に彼女の素性について詮索したことはないが、どこで何をしているか、知ろうと思えば不可能ではなかった。
 だが、己が培ってきた術の数々を教え込むことのできる者としてフェリアを見込んでいたこともあり、彼女がただの興味本位でやってきただけの見込み違いだったのか、それとも何か壁を乗り越えようとしていたのか。
 そこを見極めるために我慢していたのだ。
「ねぇ、婆様」
 彼女の声音に感じるところがあり、ハリエットは次の作業の準備をしながら、続きを待つ。
「隠し事がバレちゃったら、もう前には戻れないのかな、やっぱり」
「そりゃあそうだろうね」
「そっかぁ……そうだよねぇ……」
「けれど、すべてが無になるわけじゃない。そこから新たな関係を築くこともできるんじゃないかえ?」
「あらたな関係?」
 フェリアは大きな目を見開いて、彼女を見つめている。
「お前さんがしていた隠し事は、他の人を傷つけるものだったのかい? それで自分が得しようとしていたのかい?」
「……傷つけたかもしれないけれど……自分が得したかったからじゃない」
 少し考えてから、フェリアはきっぱりと言う。
「じゃあ、お前さんが隠し事していた相手は、そういうことを理解できない相手かい?」
「ううんっっ。みんな、いい人。みんな、大好き。婆様も」
「そうかい」
 今度はすぐに断言する。
 そして、最後にぽつりと付け加え、少し照れくさそうにするところが、愛おしくなる。
 何よりも、これだけ長い時間悩み、自分で答えを出せないことに対して、彼女を頼ってくれたことが嬉しかった。
「お前さんは、自分が子どもだということを時折忘れるようだね」
「そんなことないよ? あたし、自分が子どもで、できないこといっぱいあるって、ちゃーんとわかってるよ?」
「出来ないことがあるだけじゃない。お前さんは知らないことも多いんだよ。無知だよ、無知」
「……無知? うーん、確かに勉強は嫌い」
 怒らず素直に恥じ入る様子に、ハリエットは声を上げて笑う。
「確かにおつむりの方もそうかもしれんがね。お前さんの心もまだ、まっさらなんじゃないかえ? 真心を尽くしても裏切られることもある。自分がそう思っていなくても大切にしてくれることもある。お前さんの心はお前さんが見たいもの、お前さんに見えるものしか見えない。けれど、人の数だけ、気持ちはあるんだよ」
「?」
 フェリアは小首を傾げる。
「お前さんは今、自分が知らない感情に出会って、怖くて足踏みしてるんじゃないかね?」
  うん」
「もしかしたら、怖がっている通りの結果かもしれない。もしかしたら、そうじゃないかもしれない。それも、お前さんの「知」の一つになるんじゃないかねぇ」
「……ありがと、婆様。まだ、全部はわからないけれど、少し考えてみる……」
「そうかい」
「まだ怖いし、隠し事を婆様に話したら、婆様がどう思うかも怖い……でも、聞いてくれる?」
「ああ、いつでもいいよ」
 子どもらしい理屈。
 子どもらしくない考え方。
 フェリアはこれから様々な感情や、出来事に巡り会い、成長していくだろう。
 「無知」を恥じ、「無知」を受け容れ、「無知」であることから一歩踏み出そうとする姿に、ハリエットは穏やかに笑った。


2014.08.20

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