054. 羨望
「さぁ、召し上がれ」
ランスは我ながらよく焼けたと思えるケーキを、フェリアの前に置いた。
国王の命令、というよりも、たっての頼みで彼女の元へ来るようになったのだが、彼女がアルバス=ディルム=サンモーガンの孫であることを知らないという風に装っているため、会う場所は勢い下町の娼館になる。
国王に仕える騎士としては場違いなことこの上ない場所にも思えるが、意外にも彼はここでの他愛のない時間が好きになっていた。
「はい、お茶もどうぞ。ランスさんが持ってきてくれたの。美味しいわよ」
娼館で働くメルは、フェリアとサリウスの前にティーカップを置く。
それに感謝の意を表しながら、彼女にもケーキの皿を渡す。
「 おいしいっ」
メルはうっとりと彼を見つめてくる。
「ありがとう」
彼女が好意を寄せてくれていることは気づいている。
恐らく黒こげのケーキでも、「美味しい」と言うのだろう。
「ほんとっ、すっごく美味しい」
テーブルの上にいたフェリックが、目を輝かせて言ってくれる言葉の方が何倍も嬉しかった。
フェリアと行動をともにしている薄羽族の少年は、全く警戒心を持たず、むしろランスにあまりよい感情を持たないフェリアを責めるような節がある。
彼女に害意を持っているわけではないので、その無邪気な信頼はくすぐったくもあり、ありがたくもあった。
「リア、どうかな?」
「う、うん」
肝心のフェリアは、ようやくフォークを手にしケーキを口に運ぶ。
「美味しい」
どこか困ったような声音は、彼に対する戸惑いを含んでいるようだった。
「ありがとう」
だが、それを質すことも出来ず、結局ランスは微笑んだ。
自分の感情を流すこと、微笑むこと、それは既に条件反射となっている。
若くして今の地位についた彼をよく思わない者も多く、それぞれに本気でぶつかっていてはやっていけなかったからだ。
「おじちゃん、ほんとに何でも出来るんだね」
だが、フェリアはそれを知ってか知らずか感心したように彼に話しかけてくる。
「 それは、俺と比べてってことか?」
言いながらも、彼とサリウスを見比べるようにしたせいか、サリウスが敏感に反応した。
「そんなことはないけど、そう思うってことはおっちゃんが自分でそう思ってるってことだよね」
面白くなさそうに目を細める彼に対し、フェリアは楽しそうに言う。
「生意気を言う口はこれかっ」
サリウスは頬をひくつかせ、フェリアの柔らかそうな頬を引っ張った。
「い、いひゃいいひゃいっ」
痛がりながらも、フェリアは手にしたフォークでサリウスを突く。
「いてぇーなっ」
「おっちゃんの方が先にやったんでしょっ」
「このやろっ」
「負けないもんっ」
本気で争っているような二人に、ランスは思わず吹き出した。
「本当に君たちは仲がいいんだね」
「うんっ」
「どこがだっ?」
嬉しそうに頷いたのはフェリア、憤然と抗議したのはサリウス。
「だいたい今のは生意気なこいつを指導しようとしてだなっ」
「生意気違うもんっ。人間は本当のことを言われると怒るんだよっ。おっちゃんが自分で」
「うるさしっ」
額を指で弾かれ、フェリアはのけぞる。
「うーっ」
「へっ。これを避けられないとは、まだまだだなっ、嬢ちゃん」
赤くなった額を押さえ、恨みがましく見つめるフェリアに、サリウスは勝ち誇ったように笑う。
「羨ましいな」
「へ?」
「あ……」
思わず零れた呟きにランスは戸惑う。
フェリアの信頼を得、楽しそうにじゃれ合うサリウスが羨ましかったのだ。
だが、それをこんな風に口にするつもりはなかった。
「その」
「おじちゃん、おっちゃんが羨ましいの?」
大きな目でまじまじと見つめられ、ランスは苦笑した。
彼女の前では下手な嘘は言えないような気分になる。
「少しね」
「変わってるねー。おっちゃんなんてさ、森で行き倒れてるし、お金とか食べ物とか探して地面ばっかり見てたんだよ。そんでね、やめなって言うのに大丈夫だって言い張って拾い食いしてお腹壊したりもしてたんだよ。そんなおっちゃんが羨ましいなんてほんとーにおじちゃん、変わってるね」
「ひ、拾い食いってなっ。あれは、落ちてただけだろっ? ちゃんと包み紙にも入ったまんまだったんだからなっ」
「でも、お腹壊したでしょ?」
「う」
「ほらね?」
「いや、別に、彼の全てが羨ましいというわけではなく」
言いかけて気づく。
確かに彼はサリウスを羨んではいる。
だが、それはフェリアからの信頼を受けているという点に限ってのことであって、決してサリウスになりたいと望んでいるわけではないのだ。
彼のようになったとしても、フェリアの信頼が得られるわけではない。
羨望するよりも彼に必要なのは、己を偽らないことなのだろう。
彼がうまく次の言葉を見つけられないでいる内に、
「当たり前じゃないか、リア。ランスは何でも出来るんだし、サリウス並に強いんだからさ。羨ましいっていうのはこんな生活のことじゃないよ」
フェリックが、訳知り顔で偉そうに言い出した。
「そっかぁ、そうだよね。おじちゃん、ごめんね」
口々に言いたい放題言って笑うフェリアとフェリックが、サリウスに締め上げられたのは言うまでもなく、ランスはその様子に久しぶりに大声をあげて笑った。
何も考えず、ただ笑った後は気持ちよさだけが残る。
そんな感情をすっかり忘れていた自分に驚きながらも、そのことが新鮮に思えますます楽しくなるランスだった。
2005.10.12
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