053. かみなり
鉛色の雲。
遠くから、低く雷鳴が聞こえてくる。
「うっ」
サリウスは低く呻くと、
「あ、雨が降りそうだな。今日はこのくらいにしておこうか」
「えー?」
稽古を切り上げようとする。
「こないだは、戦いに雨も晴れも関係ないってやったでしょー?」
フェリアは納得できずに剣代わりの枝を振り回す。
もっともっと腕を上げれば、枝から木刀へと昇格させてやると言われたばかりで、フェリアは意気込んでいる。
早く剣を持てるようになりたいのだ。
「と、とにかくだなっ」
再び雷鳴が聞こえる。
先ほどより近い。
「何でもいいから、帰れっっ」
「 もしかして、おっちゃん、雷怖いの?」
「う、うるさいうるさいうるさいっっ。帰れっ、帰れっっ」
揶揄するつもりはなく何気なく訊いた途端、サリウスは頬を紅潮させ大騒ぎする。
「やだっ。帰んないもんっ。まだケーコの途中だもんっ」
「雨が降るだろうがっ」
「降っても平気だもんっ」
帰る帰らないと揉めているうちに、空がさらに暗くなり大粒の雨が降り出し、雷光が閃いた。
遅れて轟く雷鳴。
ただ、その間隔は先ほどよりもさらに短かった。
「だぁっ」
一気に青ざめ、サリウスはフェリアの襟首を掴むと掘っ立て小屋へと飛び込んだ。
「ったく……お前といるとロクなことがない」
「あたしと会わなかったら、のたれ死にだったくせに」
「うっさいっ」
不機嫌そうに言われるが、そこで黙らないのがフェリアである。
「おっちゃん、雷が怖いの?」
「…………」
フェリアの問いかけに、サリウスは黙って目をそらせると、
「お前な、人が訊かれたくないなぁと思っていることをわかっていながら、素直に訊くのやめろ。な?」
心底嫌そうに言う。
「あたしは知りたいんだもん」
「自分がされてイヤなことは人にもするな」
素早く伸びてきた手が頭を掴み、指先に力を込めてくる。
「痛ぁーいっっ。そやって言うならおっちゃんも力入れるのやめてよぉっっ」
「これは教育的指導だ」
「痛いってばっ」
万力で締め付けられるような痛みに、フェリアは足をばたつかせる。
「痛いようにしてる」
そう言いながらもようやくフェリアを解放すると、サリウスは諦めたように溜息を吐く。
「ともかく、雷が鳴らなくなるまでは外に出るなよ」
「雷なんて怖くないのに」
「いいから出るな」
痛む頭を押さえながら、フェリアは雷光が閃く外を眺める。
音が大きいから、空が光るからと理由を考えてみるが、どれもサリウスが怖がる理由としてはしっくりこない。
「怖くないってショーメイすればいいんだ」
この上もなくよい考えのように思えて、フェリアは手をたたく。
「へ?」
雷が怖くないとわかれば、今後同じことがあっても帰れとは言わなくなるだろう。
フェリアはそう考えると、
「あっ、おいっ」
雨が降る外へ飛び出した。
「馬鹿っ、戻って来いっ」
サリウスは焦ったようにフェリアを手招くが、彼女は雷など怖くなかった。
なぜなら、
「雷って、神様が怒ってるだけなんだもん。悪いことしてなかったら、何も怖がることないんだよ。それとも、おっちゃん、ウシログライことがいっぱいあるの?」
雨と雷鳴に負けないように声を張り上げる。
「そりゃ迷信だっ、迷信っ!」
「えー? だって、神官さまがそう言ったよ? あたしは何も悪いことしてないからヘーキだもんっ」
家の中から負けずに大声で叫んでくるサリウスがおかしくて、フェリアは手にした枝を頭上で振り回す。
それを見てサリウスは血相を変えて飛び出してくると、
「やめろっっ」
「ほえ?」
必死の形相でフェリアの手から枝を叩き落とす。
「おっちゃん?」
「馬鹿な真似はするなっ」
初めて怒鳴られ、フェリアは立ち竦んだ。
その声にこもった怒気と顔つきに戸惑うフェリアを小脇に抱え、サリウスは小屋の中に戻り、そのまま何も言わずにタオルを取ると、フェリアの頭を乱暴に拭き始める。
「おっちゃん、痛い」
まずはフェリアの方を拭くあたりで心遣いがあるのかもしれないが、力がこもっていて痛いことこの上ない。
「おっちゃん……怒ってるの?」
目の当たりにしたサリウスの怒りは、外の雷よりよほど怖かった。
「俺は出るな、と言ったんだぞ」
今まで耳にしたことがないほどの低い声が、彼が怒っていることを伝えてくる。
「雷が、神の怒りだなんて迷信だ」
「でもぉ」
別に深く信仰しているわけではないが、神の言葉を伝える神官には敬意を払うべきだと言われている。
もう一度神官の言葉を伝えようとしたが、サリウスの腕がフェリアを強く引き寄せた。
「……おっちゃん?」
彼の身体の震えが伝わってきて、フェリアは驚く。
「俺が子どもだったころ、同じことを言った奴がいた。……そして、そいつは天に槍を向けて雷に打たれて死んだ」
低い呟き。
「何も悪いことなんかしてなかった……お前と同じくらいの年だったんだからな」
「……ごめんなさい」
これほど怒り、心配するほど大切にされていることを知り、フェリアは申し訳ないと思うと同時に嬉しくもなる。
「謝って取り返しがつきゃいいけどな。俺の言うことはちゃんと聞けよ」
「うん」
「笑ってんじゃねーよ」
「へへー。おっちゃん」
「あんだよ?」
「大好きっ」
一瞬目を見開き、それからサリウスの顔が真っ赤になる。
「 反省してんのか?」
「いひゃいいひゃいっっ」
思わずまじまじとその顔を見つめていると、サリウスは眉間にしわを寄せフェリアの頬を引っ張った。
「俺は怒ってんだかんな?」
「うん」
「反省しろよ?」
「うん」
「頷いてりゃいいってもんじゃないんだぞ?」
「うん」
サリウスがどんなに怒ろうとも、もう怖くはなかった。
それは祖父や母と同じで、フェリアを愛してくれているから、大切にしてくれているからだということがわかっているからだ。
そう思うと、どうしても笑ってしまうのだ。
「ったく」
呆れたように吐息を洩らしたものの、サリウスもつられたように笑い出す。
雨と雷に包まれた小屋からは、いつまでも明るい笑い声が響いていた。
2005.10.09
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