052. 細い
人々が朝食を終えたであろうころ、いつもリアは弾むような足取りでやってくる。
彼の食事を持って、剣を習うために。
「ったく、後味悪ぃったらありゃしねぇ」
何の苦労もありはしないと言った笑顔を浮かべる様を思い浮かべ、サリウスは小さく溜息を吐いた。
夕べリアの後をつけ、彼女が予想したような「妾の子」だったり、どこかの「放蕩貴族の落胤」だったりという境遇ではないことを知ったのである。
理由はわからないものの、何か真剣な理由があって彼に剣を習っているのだと思っていた。
正直「おっちゃんおっちゃん」と懐いてくる彼女を可愛く思わないでもなかったのだ。
だからこそ、実際には貴族であるということを知ってしまうと気分が悪かった。
本来であれば酒でもひっかけたい気分だったが、生憎と先立つものがない。
「貴族のお嬢ちゃんが、遊びで剣なんか習うんじゃねぇーっての」
素面で毒づいても冷静になるだけで、とうとう昨夜は一睡もできなかったのだ。
だからこそその腹立ちをぶつけるため、開口一番破門を言い渡そうと思っていたのだが、
「あ、おはよう、おっちゃん。めずらしーね、おっちゃんが出迎えなんて」
うつむき加減に歩いてきたリアは、彼の気配に気づいたのか面を上げると慌てたように笑いかける。
「……ああ、おはよう、嬢ちゃん」
その様子にサリウスは機先を制されて、間抜けな挨拶を返してしまう。
「はい、これ」
そしていつも通りに差し出されたバスケットを受け取り、
「なんか重くないか?」
首をかしげた。
「うん。明日はケーコに来られないから」
本人はいつも通りにしているつもりなのかもしれないが、その口ぶりにはいつもの生意気さが感じられない。
「何でだ?」
「 どーしても」
それだけ言ってリアは基礎訓練を始めてしまう。
いつもとは違うその様子が気がかりで、結局破門のことは言い出せずにその日は過ぎていった。
翌日、
「ったく、こんなに杜撰な警備でいいもんかねぇ」
昨日のリアの様子が気になってたまらず、サリウスはサンモーガン邸に忍び込んでいた。
お茶会の準備をしているのが遠目に見受けられ、人気がないのを見計らって手近な木に登る。
「優雅なもんだ」
庭に準備されていく菓子などを横目に、サリウスは小さく呟いた。
このためにリアは来られないと言ったのだろう。
美味しいお菓子におしゃべり、仲間に入れないだろう小さな子どもとはいえ楽しいに違いない。
現場をおさえてしまえば、リアも破門されることに口答えはするまい。
そう考えていると、まるでその考えが通じたかのように客が来る前にリアと、彼女と同い年か年下と思われる少年が出てきた。
「フェリアお嬢様、ちゃんとお茶会に出なくちゃだめですよっ」
少年はリアが逃げ出すことを警戒するように言う。
「そんなこと言われなくたってわかってるもんっ。あたしがいなかったら母さまが大変なくらいわかってるもんっ」
リアの声は珍しいほど尖っている。
「だったら、お出迎えもちゃんとしなくちゃ」
宥めるような少年の声。
いつもの我が侭とも感じられず、サリウスは飛び出す機会を逸してその場に止まった。
「わかってても腹が立つのっ。あたしに父さまがいなくたって、誰にもメーワクかけてないじゃないっ。母さまだってメーワクかけてないもんっ。そりゃ、じいさまにはメーワクかけてるのかもしれないけど、あんなクソババァたちにメーワクなんてひとかけらもかけてないもんっ」
「フェリアお嬢様っ」
誰かに聞こえるのではないかと、おどおどと周りを見回す少年。
リアの肩は怒りのためか小刻みに震えている。
そして、大きな目に今にもこぼれ落ちそうに涙が膨れあがる。
「母さまがガマンしてるから……だからガマンする……怒んない……笑う……もん……だまって……るもん……」
必死に全てを飲みこみ、こらえようとする様子に、サリウスは飛び出して抱きしめてやりたくなる。
だが、そうすれば彼女はきっともう彼のところには来なくなるだろう。
屋敷の外に出ることで、リアは均衡を保っているだろうことは容易に察しが付いた。
子どもながらに母親を守ると言い、涙を必死に堪える様子は痛々しかった。
「 ごめんね、ヴァイス。もうだいじょぶだから……戻るね」
そして、少年が何もできずに狼狽えているのに気づいて、リアは笑った。
安堵の表情を見せる少年の手を取り、リアは屋敷の方へと戻って行く。
「あの莫迦」
サリウスは苦々しく呟く。
あの小さな手と細い腕でどこまで抱え込もうとしているのか。
全てを抱え込もうとするかのように思えてたまらなくなる。
「ったく」
サリウスは木から下りると屋敷の外へと向かった。
明日はきっと笑顔で走ってくるのだろう。
辛いことなど何もないと言った顔をして。
そして、彼はそれを出迎えるのだ。
リアの腕に抱えられたものごと受け止めるために。
「絶対に潰させないからな」
サリウスは挑むように屋敷を睨みつけ、呟いた。
2005.10.05
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