045. リズム

 サリウス=ヴァン=デジレは、森の奥、今は訪ねる者もない木こり小屋で目を醒ました。
 リアと名乗る少女が、この小屋を教えてくれたのだ。
 まだ10歳に満たないだろう彼女は、王侯貴族の血を引く証とされる青銀の髪をし、大きな目が印象的な少女だ。
 この年齢にして可愛らしいよりも、美しいという表現が出来るのも大したものだろう。
 口を閉じ、微笑んで座っていれば、人だかりが出来ること請け合いだ。
 そう、口を閉じているということが絶対条件。
 口を開けば、殴りたくなること間違いなしなのだ。
 それも、悪態を吐くならともかくも、素直に無邪気に、口達者に触れられたくないことや答えにくいことを聞いてくるから、殴って止めたくなるのだ。
 そして、この「殴って」と思ってしまうことに罪悪感を感じさせるからたまらない。
 一文無しで金の入る当てもなく、住む場所もない。
 そんな状態の彼に食べ物を提供し、更に住む場所まで教えてくれたのだから、感謝こそすれ文句を言っては罰が当たると思いながらも、
「はぁ……」
 溜息が洩れる。
 つい先頃までは右に並ぶ者はない剣豪としてもてはやされ、女性たちにちやほやされて生活していたのだ。
 売り言葉に買い言葉、己から決別したとはいえ未練は残る。
 特にここまで落ちぶれたかと思うと、余計に虚しさが迫る。
「はう」
 もう一度溜息を吐いたとき、
「おっちゃーんっ、おはよーっっ」
 件のリアの声が響き渡る。
「おはよう、お嬢ちゃん。俺の名前はサリウス=ヴァン=デジレだっつーの。デジレさんって呼べ」
 やや疲れた口調で応じるが、
「ここにはあたしとおっちゃんしかいないんだよ? あたしがどう呼んだって、おっちゃんのことには変わりないでしょー? それにおっちゃんだってリアって呼ばないもん」
「俺は大人なの。大人に対しては敬意を払うもんなんだぞ? 家で習わなかったのか?」
「習ったよ。目上の人にはそれソーオーのケーイをはらいなさいって」
「ほら見ろ」
 満足げに頷くサリウスだったが、
「だって、ソーオーってその相手にふさわしいってことなんでしょ? 道ばたに倒れて死にかかってたおっちゃんにふさわしいってどんくらい?」
 リアは真剣な表情で訊ねてくる。
「んぐっ」
「それに今はおっちゃん、あたしがやしなってるよーなもんだよね? そーいうのをカイショナシって言うんでしょ? あ、これはね、ミニーが自分のコイビトのことをそういってたんだ。好きだけどカイショナシだからケッコンするのは悩む〜って。つまり、カイショナシっていうのは他人をやしなえないってことで間違いないんだよね? だったら、おっちゃんもそうでしょ?」
「くぅ」
 言ってることが全て当たってるだけに腹が立つ。
「それともおっちゃんはカイショアリだから、もう食べ物いらない? でも、約束は守ってね。ちゃんと剣を教えてよ?」
   食い物はいる。……約束も守るよ」
「えへっ。んじゃ、やっぱりカイショナシでおっちゃんでいいよね」
 無邪気な愛らしいと言っていい満面の笑みなのに、サリウスの拳はきつく握られる。
「あ、これ、今日のご飯ね」
 だが、リアはそんなことにも気付かずに、彼へとバスケットを差し出す。
「ありがとな」
「どーもいたまして」
 口達者ではあるが、たまにこういう言い間違いをするので、まだ救いはあるのかもしれない。
 と、やや安堵したとき、
「おっちゃんも早くカイショアリになれるといーね」
「うるさいっ! 好きで甲斐性なしやってるわけじゃないわいっ!」
 楽しそうに言われ、思わず叫ぶ。
 こうしていつもいつもリアには調子を乱されてばかりなのだ。
 パンを囓りながら、サリウスは思う。
 彼とリアでは会話のリズムがかみ合っていないのだ。
 だからこそ、ここまで腹も立つのだと。
 だがわかったからと言って、腹が立たなくなるわけでもない。
 彼女のリズムに慣れるか、彼のリズムに慣れさせるかどちらかしかないのだが、
「はぅ……」
 どちらかと言えば、彼の方が慣れなければならないだろうという諦めに近い確信を抱いて、サリウスはまたまた溜息を吐くのだった。

2005.09.12

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