028. 向こうからみたこっち

 夜、ヴァイスは咽の渇きを覚えて、ベッドから抜け出した。
 両親が勤めているサンモーガン家は使用人に対しての待遇がよく、彼ら一家も父が御者として母が女中として勤めていることもあり、敷地内にこぢんまりとしたコテージを与えられていた。
  はぁ、エイリアにも困ったものだな」
 父の声に思わず足が止まる。
「ええ。気持ちはわからないではないんですけどね」
 そして母の苦笑混じりの声。
 妹のエイリアは10歳、最近は兄であるヴァイスに対してもこまっしゃくれた口を聞くようになっていた。
「だからといって、フェリアお嬢様に恩知らずな口を聞くのは許されない」
 父の厳しい口調に、合点がいく。
 エイリアはフェリアに対して対抗意識を燃やしていた。
 もっとも勝ち目のない争いではあるのだけれど。
 どう身びいきに見たとしてもフェリアほど美しい少女はいないのだし、彼らはしがない使用人、そして彼女は主の孫なのだから。
 その対抗意識が、事件を起こした。
 エイリアがフェリアの持ち物を盗んだのだ。
 もっとも本人は拾ったと言っていたし、フェリアもどこかで落としたと言っているのだが。
 フェリアが落としたと言い張る以上、エイリアを追求することも難しく、両親は困っているのだろう。
 更にエイリアが庇ってくれているフェリアに対して、「金持ちは物をなくしても気付かないのね。迷惑だわ」などと言ったのだから両親が頭を抱えたくなるのもわかる。
 勉強はともかく賢いフェリアのことだ、エイリアが盗んだことなど百も承知なのだろう。問題は、今回のように庇い立てをされると妹がこれからも同じことを繰り返すのではないかとヴァイス自身も危惧していた。
「全く。上ばかり見てしょうがないやつだ」
「本当に。……お気の毒なお嬢様に対して何を考えているのか」
   お気の毒なお嬢様。
 母の言葉は違和感がありすぎて、ヴァイスは首を傾げる。
 なかなか水を飲みに行ける雰囲気でもなく、結局彼は部屋に戻った。
   お気の毒なお嬢様。
 ベッドに戻って目を瞑ると、母の言葉が耳の奥に蘇る。
 誰よりも美しく、サンモーガン家の令嬢として富も名誉もあり、手に入らないものはないのではないかと思われるフェリア。
 そして、剣も魔法も思いのままに操り、出来ないことはないのではないかと思わせるようなフェリア。
 ふと思う。
 両親のいないフェリア。
 フェリア=トレスタ=サンモーガンとしては自分を出せないフェリア。
 父親にいたってはいないを通り越して誰かもわからないのだ。
 今までヴァイスはフェリアを羨ましいとは思っても気の毒だ、などと思ったことはなかった。
 だが、彼は決して「気の毒」ではないのだ。
 彼もエイリアも両親が揃っており、惜しみない愛情を注いでもらっている。
 高望みさえしなければ、望む物も与えてもらっていると言えるだろう。
 家族全員が暮らす家があり、彼も妹も働かなくても食べていける。
 フェリアから見た自分とはどんなものなのか、向こうから見たこっちはどんな風に見えているのかと思うと、ヴァイスは胸が痛くなった。
 羨ましがるばかりの自分が恥ずかしくなって、ヴァイスは意味もなく上掛けを頭からかぶるときつく目を閉じた。

2005.07.13

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