026. とりあえず

 名門や旧家という名を恣にしているサンモーガン家の当主であるアルバス=ディルム=サンモーガンは、孫の部屋を訪れ右の眉を跳ね上げた。
「フェリア」
 彼の大切な孫は今まさに窓枠に足をかけ、外へと出かけるところだった。
「っっ」
 静かに呼びかけると、フェリアは肩を震わせ硬直する
 そして恐る恐る振り向く。
 彼がこの時間に屋敷に戻ることは滅多にない。恐らく彼が戻る前に出かけてしまうつもりだったのであろう。
「フェリア?」
 もう一度呼びかけるとフェリアは仕方なさそうに、窓枠から床へと降りる。
  お、おかえりなさい、お祖父様」
 小さな声には、反省の色がある。
 ありがたいことに、亡き娘と同じようにフェリアは彼を尊敬してくれているようだ。
 なんと言ったものかと考えていると、
「ごめんなさい」
 とうとうフェリアは謝った。
 とはいえ、これは彼の言いつけを破って下町に出かけようとしたことに対する謝罪であって、彼女が下町へと出かけることをやめるという約束ではない。
 どう言えば良いのかがわからず、深々と溜息を吐く。
「着替えて、書斎に来なさい」
「はい」
 とりあえずの時間稼ぎにそう言い置いて、書斎へと戻る。
 フェリアが下町に出かけていることを知ったのは、そう前のことではなかった。
 別に下町の人間とは住む世界が違うと言うつもりはないが、貴族であるということが知れればどんな危害を加えられるかわかったものではない。
 ましてや、フェリアは王族の血を色濃く受け継ぐ青銀の髪をしているのだから。
 小さく吐息を洩らし、火の気のない暖炉の前に置いた椅子に座ったところで、ノックの音が響いた。
「お入り」
 細く開けたドアから顔を覗かせ、フェリアはいつものように傍のオットマンに近寄った。
「座りなさい」
「はい」
 アルバスはフェリアを怒りたくはなかった。
 叱ることが必要とはいえ、この問題は叱ったり怒ったりすることで解決することではないからだ。
 例え禁止したとしても、フェリアは出かけてしまうだろう。
「フェリア……お前は何のために下町に行くんだい?」
 幾度か繰り返した問い。
「わからないの」
 そして、フェリアは同じ答えを繰り返す。
「ここにいるのは辛いのかい?」
 父は傍におらず、母は亡い。
 フェリアと同い年の子どもはいるが、彼らは学校に行ったり、家の手伝いもあって、常に彼女といるわけではない。
 そうなれば、この屋敷にいるのは彼と、召使いたちだけだ。
「……ううん。でも、外の方が楽しい」
「楽しい。そうか」
「うん」
 彼女が下町に行くのは息抜きだということを、アルバスは知っていた。
 望んだわけではない私生児という境遇。周りの悪意ある好奇心に満ちた視線に曝されることが、それに反発できないことがどれほどの重圧かということを、彼女以上にわかっていた。
 だが、フェリアは本能的に息抜きに出かけているのであって、深く考えてのことではない。
 その行動は何を引き起こすかわからない。
「フェリア。お前がきちんと考えているのならばかまわない。そうではないのなら、よく考えなさい」
 フェリアは首を傾げる。
「いいね、フェリア。「とりあえず」というのは結局は解決にはならない。お前は少し行動する前に考えることを覚える必要があるね」
「はい」
 生真面目な表情で頷きながらも、フェリアは哀しそうだった。
 母親である娘リディスによく似た面差しながら、意志の強い瞳と行動力、明晰さは髪の毛同様父親譲りだと思う。
 この国の王であるジェラルドに。  フェリアを諭しながらも、「とりあえず」と、彼女の父親が誰なのかを隠し続ける己に、アルバスは見えないように皮肉げに頬を歪めた。

2005.07.05

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