024. 何もしない時間

「生麦生米生卵……生麦なまがめ……生麦生米なまちゃま……ふぅ」
 フェリアは早口言葉の練習を諦め、クッションの上に倒れ込んだ。
 最近暇を見ては、早口言葉の練習をしているのだが、なかなかうまく口が回らない。
 何故かと言えば、呪文を素早く正確に唱えるためには早口言葉が出来るようになる必要があると考えてのことだ。
 同じ光の呪文を唱えても、師匠であるキャヴェリン=ハリエットの方が彼女よりも早く生み出すことが出来る。
 その理由はどうやら呪文を唱える速度にあるらしいと気付いたのはいいのだが、早口で言おうとするとどうしても言い間違って、きちんと術が発動しないのだ。
「ねぇ、リア。もう寝ようよ」
「ん? あ、うるさい?」
 妖精である友人のフェリックが遠慮がちに顔を覗かせるドールハウスの窓に顔を向ける。
「うるさいってことはないけど、リア、随分疲れてるみたいだよ?」
「そだね。ちょっと口が疲れた」
「そうじゃなくってさ、たまには何もしない時間って必要なんじゃない?」  フェリックは熟れた小麦色の髪に覆われた頭を傾け、真剣な眼差しを彼女に向けてくる。
「ほら、リアは剣の稽古したり、魔法の修行したり、おじょーさまやったり、色々あるじゃない。だから、少しくらい休んだ方がいいよ」
 彼女の沈黙が嫌なのか、フェリックは喋り続ける。
 フェリアは溜息を吐いて起きあがった。
「何もしない時間って言うけどさ」
「うん」
「そんなものあるのかな?」
「へ?」
 フェリックは間の抜けた顔をしたあと、
「そりゃあ、ぼーっとするとか、寝るとか」
「でもさ、ぼーっとしてたって目は何かを見てるし、耳は何かを聞いてるし、何か考えてるよ? 寝てたって、夢を見るのは頭で考えてるからだって、こないだヴァイスが言ってたし、寝てたってしんぞーって動いてるんじゃないの?」
「うっ……そ、それはそうだけど……だけど、ぼくが言いたいのはそーじゃなくって」
 一瞬詰まったあと、必死に言いつのるフェリックに、フェリアは聞き流しながらも微笑んだ。
 彼が言いたいことはよくわかっている。
 休めと言いたいのだ。
 自分でも疲れているという自覚はあった。
 だが、先ほど言ったことも嘘ではない。
 フェリアが寝ていたとしても、フェリアの身体は動いている。動いて、時を刻んでいるのだ。
 だとすれば、その動きが止まってしまうことが死であるならば、寿命というものが持って生まれた時で決まっているのならば、フェリアは無駄にはしたくなかった。
 まだ、自分が何をしたいのか、何をするべきなのか、何ができるのか、そういうものがわからない内に時が止まってしまうのが怖かった。
 ただ、フェリックが心配してくれる気持ちも嬉しかった。
「……って、リア、何笑ってんのさ」
「ん? フェイってさぁ、面白いな〜って」
 何でもフェリアに名前をつけられてしまったせいで、フェリックは彼女の傍にいるらしい。
 彼女にはそうしようという意識もなかったし、どうすればそれが融けるのかもわからない。
 だけれども、今では彼は唯一無二の親友だと思っている。
 彼女の我が儘にも文句を言いながらも付き合い、こうして心配してくれる。妖精と人間という区別はあっても、フェリアにとってフェリックが大切な友人であることは間違いなかった。
 いつも彼女の無茶を詰るくせに、こうして心配してくれる。
 それが嬉しかった。
「なっ! もう、知らないからっ! ぼく、寝るっっ!」
 だが、天の邪鬼な彼女の言葉は、当然のごとくフェリックには伝わらず、彼は怒ったようにドールハウスの窓を閉めた。
  おやすみ〜、フェイ」
 フェリックに声をかけて、フェリアは寝室へと向かう。
 眠ったまま、母のように、何もできなくなってしまうかもしれない、死んでしまうかもしれない。
「何もしない時間なんていらない」
 フェリアはベッドに潜り込み、小声で早口の練習を再開した。

2005.06.10

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