022. 曇り硝子

「むぅっ」
 憤懣やるかたないといった様子で、唇を尖らせながら勢いよく腰を下ろすフェリアにサリウスは首を傾げた。
 彼の知る限り、フェリアの喜怒哀楽は単純極まりない。
 怒るときも対象は明確だ。
 こんな風にどこに怒りをぶつければ良いのかわからずに、苛々を裡に込めることは珍しい。
「どうしたい?」
 訊ねてみれば、
  おっちゃんは、何でルビーがランスさんに弟子入りなんかしたのか聞いてる?」
 ようやくランスは「騎士のおじちゃん」から名前を呼んでもらえる程度には信用をされたらしいが、さん付けが余所余所しい。
「聞いたことはねぇーな」
 想像はついたが、それを伝えるつもりはなく、サリウスは笑った。
「ルビーがランスといんのが、そんなに嫌か?」
「いやじゃないよ。いやじゃないけど、ルビーがランスさんみたいになるのはやだ」
 フェリアの中のランス像が今ひとつはっきりしないが、言いたいことはわかった。
「なんで? って聞いたら、強くなりたいって言うんだけど、ルビーは何で強くなりたいの?」
「さぁーな。でも、嬢ちゃんが何で剣を習ったのかっていうのは、ルビーには知らせなかったんじゃねぇーの?」
「っっ」
 フェリアの白い頬が薄紅色に染まっていく。
 初めこそ気付かなかったが、フェリアはルビーをこの娼館から助け出すために道場破りをして金を稼ごうと目論んでいたのだ。
 方法としては、まず剣の修行からということで迂遠だが、現実として幼い彼女が手っ取り早く大金を合法的に巻き上げるのには最適の選択だったわけだ。
「な、何のこと言ってんのか、わかんないもんっ」
 紅くなって視線を泳がせるフェリアの頭を撫で、サリウスは笑う。
「だからさ、ルビーにはルビーの理由ってのがあんだよ。他人なんだからさ、何でもかんでも硝子みたいに丸見えじゃねぇーし、曇り硝子の方がいいこともあんだよ」
「何で?」
「何でって……そうだなぁ、相手の気持ちも自分の気持ちも丸見えだったら、やじゃねぇーか? わかんねぇーこともあるから相手を思いやるし、相手のことも考えるんだろ?」
「おもいやりってこと?」
「そうそ。他にもさ、たとえば、俺が嬢ちゃんにプレゼントしようとするだろ? そういうときは嬢ちゃんが何が欲しいかを真剣に考えるわけだ。何が欲しいか、もらって喜んでくれるか。そういうことを考えると楽しいだろ?」
「うん」
「逆に嬢ちゃんが何が欲しいかがすっかりわかってて、嬢ちゃんも俺が何やるのかわかってたら、全然楽しくないと思わないか?」
「そだね。おっちゃんってたまに賢いこと言うよね」
 余計なことを付け加えるフェリアの頭を教育的指導として一発はたき、
「だから、ルビーが何を考えてんのかはわっかんねぇーかもしれないけどな、嬢ちゃんは見守ってやってりゃいいんだよ」
「そっかぁ。大変だったら、手伝ってあげればいーんだもんねっ」
「そうそ」
 ようやく笑みを取り戻したフェリアに、サリウスも微笑みを返した。

2005.06.04

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