021. 色

「おかえりなさいませ、陛下。ここ数日どちらにおいでになったのですか?」
 妃であるベアトリスの冷ややかな声に、満ち足りた気持ちで部屋に戻ろうとしていたジェラルドは足を止めた。
  領内の見回りに決まっているだろう」
 用意しておいた答えを伝えると、
「供も連れずに? 大胆でいらっしゃいますこと」
 白くしなやかな手に握った扇子で口元を覆い、ベアトリスはわざとらしく笑う。
 艶やかな黒髪と切れ長の瞳。
 城の者たちも口を揃えて美しい妃と讃える彼女だが、その漆黒の瞳は氷のように冷たい。
「嫌味を言うためにわざわざ待っていたのか?」
  嫌味に聞こえるのは、陛下ご自身に後ろめたいことがあるからではございませんの?」
 軽い口調。
 いつもの人を小馬鹿にしたような物言い。
 だが、その中に硬い何かが潜んでいるように感じられて、ジェラルドは探るように妃の顔を見た。
 結婚当初から彼女の態度は高飛車で鼻持ちならなかった。
 それは大国の王女である己を変えられず、このような小国に嫁がされたことに対する不満故かと考えていたのだが、最近は彼の大切な秘密を嗅ぎ付けているかのように思える節があった。
「あたくしは陛下の身をお案じしているだけですのよ?」
「そうかい。私のことなど気にもしていないと思っていたよ」
 2人の間に世継ぎの姫としてイレイザが産まれてから、彼女は寝室を別にし、娘と国元から連れてきた侍女やばあやを引き連れて奥へと引きこもっていた。
 公務がなく、彼がイレイザの顔を見に行かなければ十日以上言葉を交わすどころか顔を見ないこともざらだった。
 彼の子は予言の子。
 世界を統一するという予言を受けている。
 その子どもが生まれてしまえば、彼は用済みなのだと認識していた。
「それは陛下でございましょう。せっかくお戻りになられたのですから、イレイザのところへいらっしゃってもよろしいのではございませんの?」
  明日にでも行くよ。今日はもう遅い」
 寝顔を見に行ってもいいはずだった。
 だが、今このときにイレイザの元へ行くつもりにはなれなかった。
「さようですか。では、おやすみなさいませ、陛下」
 ベアトリスは美しいが冷たく凍り付いた表情を彼に向け、一礼すると出て行った。
 ようやく一人に戻り、溜息を一つ。
 そして、ゆっくりと己の両手を眺める。
 つい先ほど生まれたばかりの我が子を抱いた手を。
 我ながら不思議だと思う。
 半年ほど前イレイザが生まれたときも嬉しかった。これが我が子かと、守り導きたいと思った。愛情を感じなかったわけではない。
 なのに、リディスとの子であるフェリアをアルバス=ディルム=サンモーガンから抱き取ったときには、感激のあまり手が震え、それでも一時でも長く抱いていたいと思った。
 護り、導き、幸せにしたい、幸せになって欲しいと思った。
 目が離せなかった。
 今も自然と顔がほころんでしまう。
 アルバスから連絡を受け、あまり丈夫ではないリディスが心配で飛んでいった。
 傍についていてやることは叶わなくとも、同じ屋敷にいたかったのだ。
 母子ともに健康とのことで、フェリアに乳を含ませるリディスを思うだけでジェラルドは至福感でいっぱいになる。
 この気持ちを大切にしたくて、イレイザには会う気になれなかったのだ。
 ベアトリスとの不仲はイレイザの罪ではない。
 彼女に対しては精一杯のことをしてやりたいとは思いながらも、気持ちがフェリアへと向くのを止められないのだ。
 最愛の女性リディスと己との子というのはある。
 そして、イレイザの髪が真っ黒なのに対し、フェリアの髪はまだ申し訳程度とはいえ紛うことなき青銀色。
 彼の血を引く証の色。
 もちろん、サンモーガン家では青銀の髪の子どもが生まれてもおかしくはない。かつてい何人かの王女が嫁いだこともあり、王家との縁が深いからだ。
 事実サンモーガン卿の曾祖父は青銀の髪をしていたという。
 それでも、髪の色が彼の半身であることを強く主張していたのだ。
 鏡に映る己の髪を撫で、ジェラルドはなるべく早くリディスに、そしてフェリアに逢いたいと願うのだった。

2005.06.03

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