017. もういない?

「よぉ、嬢ちゃん。なぁーにコソコソやってんだ?」
 娼館にドアからこっそりと彼の方へとやってきたフェリアに、サリウスは苦笑いする。
「だって、騎士のおじちゃん、今日もいるかと思ったんだもん」
「あぁ、ランスな」
 珍しく覇気のないフェリアに、サリウスも思わず重たい溜息を吐く。
「いるこたいるけどな、メルに引っ張っていかれたぞ」
 フェリアはあからさまに安堵の笑みを浮かべ、彼の横に座った。
 ランス=ローゼンフェルトは、数日前突然彼の元を訪れた。
 まだ彼が城勤めをしていたとき、バラクト王と共にやってきたランスは、唯一彼と互角に戦った騎士だ。
 前触れもなく、私服で訪れた彼はフェリアのことを訊ねていった。
「嬢ちゃんはアイツが嫌いか?」
「おっちゃんだって苦手なくせに」
「う゛」
 思わず呻く。
   リアに興味がありましてね。
 と笑う彼に、
   へぇ、アンタそういう趣味だったのかぁ。
 と軽口を叩いた途端、ナイフが飛んできた。
 殺気も感じさせず、笑顔のままで。
 そして、
   私はその類の冗談は嫌いです。
 と反論を赦さぬ凄味を漂わせて言った。
 彼以外の人間ならば間違いなく眉間を貫かれていただろう。
 フェリアもその現場に居合わせたせいか、元々なのかランスには気を許していないようだった。
 何しろ彼の目的がわからない。
 フェリアの何を探ろうとしているのか。
 ランスはバラクト王の懐刀と呼ばれる切れ者だ。
 単純に青銀の髪をしたフェリアに興味を持って調べているのか、それとも彼女をバラクト国の重鎮サンモーガン卿の孫と知って調べているのかが見えない。
「大体さ、あのおじちゃん、絶対笑顔のまんまおしりぺんぺんとか、ご飯抜きとか言うタイプだよ。にっこにこ優しそうな顔してさ、怖いことするにきまってるもん」
「まぁーなー」
「でも、優しいじゃない。いつもお土産くれるし」
 妖精族のフェリックは呑気な口調で言った。
「そだな。ここの女たちにも評判はいいよな」
 決して娼婦を買っていくわけではないのだが、お茶を飲んだり、お喋りをしたり、細かい作業を手伝ったりして帰っていく。
 基本的に悪い人間ではないと思う。
 だが、フェリアの身のこなしから彼を突き止めたり、フェリックやフェリアのことを気にしているのが気にかかる。
 だが、正面からぶつかったところで、彼は決して答えないだろう。
「あうぅ……おじちゃんがいると疲れるんだよね」
 珍しく弱気な発言をして、フェリアはサリウスに寄りかかる。
 彼女がこうして甘えてくることは少ないが、その分サリウスはその瞬間が好きだ。
 だから何も言わず、ただするに任せておく。
「ん?」
 風向きが変わったのか、娼館の方から甘い匂いが漂ってくる。
「あ、お菓子焼いてるのかな?」
 3人は匂いを嗅ぎ、顔を見合わせる。
「行ってみるか?」
「うん」
 フェリアは先頭に立ってキッチンへと向かう。
 そして、
「おじちゃん、もういない?」
 と、訊ねたが、
「いないのをそんなに残念に思ってくれてるのかな?」
 柔らかな声に飛び上がった。
「あ、リア。いいタイミング。すごいよ、ランスさん、お菓子焼いてくれたの」
 メルがうっとりとランスを見上げている。
 彼女は彼に参っているのだ。
 だから、彼がここに来る目的であるフェリアにも優しい。
「アンタ、本当に器用だなぁ」
「手先はね」
 そう言ってランスは彼の後ろに隠れるようにしているフェリアを見た。
 その目が一瞬淋しそうに見えて、サリウスは彼を凝視する。
「うわぁ、美味しそうだねぇ。ねぇねぇ、ランス、食べてもいーい?」
 だが、無邪気なフェリックに、ランスはいつもの笑みを浮かべて、
「もちろん  メルさん、お茶の用意を手伝ってくれますか?」
「ええ」
 甲斐甲斐しく茶の支度を始めだした。
 フェリアは馬鹿だが聡い。
 要するに本能的で、動物なのだ。サリウス自身と同じように。
 だからそんな彼女が気を許すと嬉しいし、警戒されると淋しい。
 先ほどの「もういない?」という問いかけは、ランスにとっては痛かったのだろう。
 そう感じるということが、フェリアに害意のない証に思えてサリウスはようやく一安心した。

2005.05.29

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