016. 池に映った

 うららかな日射しを浴びながらサリウス=ヴァン=デジレは深々と溜息を吐いた。
 娼館の用心棒という職に就き、定期的に収入を得られるようになったので、以前の掘っ立て小屋でフェリアからの差し入れをメインに食いつないでいたころに比べれば、随分ましな生活になったと言える。
 だが、かつては王宮にも出入りしていた我と我が身を思いやると、溜息の一つも出ようというものだ。
「溜息吐くと幸せが逃げるっていうよ、旦那」
 そんな彼を見て、一緒に来ていた娼婦のエルジェットが皮肉っぽく笑う。
「そんなもんかねぇ」
 気乗りしない相づちを打っていると、
「なんだい、今が幸せじゃないってお言いかい?」
 仇っぽい流し目をよこし、エルジェットは日傘を回す。
「でも、おっちゃん、前は幸せだったの?」
 横で二人の会話を聞いていたフェリアが問いかけてくる。
「あ? そりゃーおめぇ」
 王侯貴族にもてはやされ、国一番の剣豪と謳われた自分を思い返し、サリウスは「当然だろ」と答えようとするが、
「幸せだったのに、おっちゃん、行き倒れてたの?」
 フェリアは不思議そうに小首をかしげる。
「それは……」
 行き倒れていたと言われると反論もしたくなるが、事実彼は死にかけていたところをフェリアに救われている。
 その元になったのは貴族との確執だ。
 そう、言われてみれば、彼は幸せではなかったのだ。
「おっちゃん? おっちゃん、今幸せじゃあないの?」
 同じ問いでも、エルジェットとフェリアのものでは随分違う。
 物怖じすることのないフェリアの瞳の前では、いい加減な返答は赦されないと感じるからだ。
  そうだな。今は幸せだと思うよ、嬢ちゃん」
 満面に広がる満足そうな笑み。
 幼いフェリアのそれは自己満足の笑みに近いものがあるが、それでも別に良かった。
 大勢の弟子に囲まれ、王族貴族に大切に扱われていても、そこにあったのは成り上がりものに対する、剣術馬鹿に対する蔑みだった。
 麗々しい衣装を身に纏い、高価なものを飲み食いし、着飾った女たちを抱いていても、彼は決して満足はしていなかったのだ。
 幸せではなかった。
 だからこそ、勢いとはいえ飛び出してきたのだ。
 初めて過去を振り返ってそう思う。
 たった一人とはいえ、生涯で全てを注ぎ込めるフェリアという弟子を得、自分を頼ってくれる人々の元で働ける。
 虚飾ではない、己の手でつかみ取る生活。
 苦しいけれど、そこには生き甲斐がある。
「あぁ、俺は幸せだよ」
 サリウスはフェリア越しに、池に映る自分を見て笑った。

2005.05.25

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