015. 雑踏

 人、人、人、人。
 人ばかりで石畳さえ見えない中、ヴァイスは人波の中を泳ぐように精一杯先を急ぐ。
 うっかりしていたのだが、今日は市の立つ日で、夕飯の買い物だのそぞろ歩きだので、いつもより格段に人通りは多かった。
 フェリアとの待ち合わせの時刻も迫っており、気ばかりが焦る。
 何しろ今日は彼が頼んで外出に付き合ってもらう上に、正当な理由があるのならともかく、単に宿題の調べものに夢中になっていたからというのでは怒られるのは必至だ。
 怒るといっても酷いことをされたり、不当なことを言われるわけではないのだが、往来で女の子に怒られるというのは体裁が悪い。
 要は自尊心の問題だ。
 広場の大時計に目をやり、ヴァイスは呻く。
 待ち合わせ場所である広場の東には時間通りに行けそうだが、この人混みではフェリアを見付けるのに手間取るのは間違いない。
 何しろ今日は噂に聞いた旅の識者を捜すため酒場を歩くことを考え、特徴的な青銀の髪は隠してくるように頼んであるのだ。
 下町に慣れているからこそ彼女に同行を頼んだとはいえ、夜の酒場を王侯貴族の血を引くとされる青銀の髪を見せびらかすように歩き回れば、無用な騒動を引き起こすことは火を見るより明らかだ。
 それだけは避けたかったので、絶対に目立たないようにと彼にしては珍しい程強く念を押したのだった。
 東広場について、ヴァイスは視線を巡らせる。
 ここも予想に違わずの混雑ぶりだったが、目指すフェリアのいる場所はすぐに知れた。
 ヴァイスは思わず足を止める。
 言っていた通り頭に布を巻き、目立たぬ簡素な服装をしているのにもかかわらず、彼女の立つ街灯の下だけは特別だった。
 ただ立っているだけなのに、人々は目に見えない力に引き寄せられるかのように彼女を見やる。
 彼女の周囲にも人は大勢いるというのに、フェリアは雑踏の中に埋もれることはなかった。
「ぼけっと突っ立ってんなや、坊主っ」
「うあっ? あ、す、すみませんっ」
 突き飛ばされるようにぶつかられて、ようやく我に返る。
 そして、雑踏とは人混みを指して言うものだが、そこに埋没しない人間というのは存在するものなのだと妙に納得してしまう。
 雑踏を構成する顔はどれも疲れたような、個性を感じさせないものだ。
 無為の中に埋もれることを是とする者たちが、雑踏を生み出すのだ。
 その中でフェリアをはじめとする人目を惹く者たちは活き活きとしている。
 群衆を灰色に例えるならば、彼女たちは光だ。
 灰色の帳に覆われることのない、強い煌めき。
 特別何かを主張しているわけではない。
 ただ生き方が違うのだろう。
 いや、生きることに対する考え方、感じ方が違うのだ。だからただ立っているだけなのに、人々の目を引き寄せる。
 眩しいほどの光輝。
 フェリアの瞳が不意に彼を捉え、口元に微笑みが浮かぶ。
 それが、彼女にとって自分が雑踏に埋没した人間ではないという証に思えて、ヴァイスは嬉しかった。
 その瞬間埋没していた雑踏の中からヴァイスという名を持つ個人として浮かび上がるような気がした。
 埋没するのも抜け出すのも、自身の力なのだ。
 フェリアに向かって笑顔で駆けていく彼の姿を、人々が見やっていることに彼自身は気付いていなかった。

2005.05.24

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