014. 白紙


 サンモーガン家の庭園にある、小さな四阿が二人の憩いの場だった。
 病弱ではないが、丈夫とも言い切れないリディス=エラヴァス=サンモーガンはあまり外に出ることがなく、また男もおいそれと勝手気ままに出歩くことが出来なかったからだ。
「何故もっと早く君と出会えなかったのだろう」
 男の言葉にリディスは苦く笑う。
「一年、いや、せめて半年早ければ」
  仕方ありませんわ」
 それは彼女自身思うこと。
 切実に願ったこと。
 だが、言っても詮無きこと、取り返しのつかぬこと。
 言ってどうかなるのなら、何千回何万回と繰り返しただろう。
  すまない」
 彼女の笑みの意味を察したか、男は俯いた。
「でも、言わずにはいられないんだ」
「そのお気持ちが嬉しいですわ」
 男は何かを言おうとするかのように数度唇をわななかせた。
 だが、言葉を発するより先にリディスの身体をかき抱く。
「私が愛してるのは君なんだ。他の誰でもない、君だっ」
 苦しいほどの抱擁と、甘さとはほど遠い、切ないまでの告白。
「わたくしも、お慕い申し上げておりますわ」
 まだ恋に憧れ、愛を夢見ていたころ、この科白を口にすることを何度夢想しただろう。
 だが、そのときはこんな哀しい気持ちで、これほどの覚悟を決めて口にするとは思いも寄らなかった。
 国王の信任篤いサンモーガン家の令嬢であることが有利になりこそすれ、二人の仲を妨げることになるとは露程も思わなかった。
 リディスは彼のなすがままに身を任せる。
「予言がなんだというんだっ。私は私だっ」
 そう呟く彼自身が、それを信じていないこと実行することが出来ないとわかっていることをリディスは知っている。
「貴方お一人のことではないのですもの」
 そして、これは彼に対しての言葉ではなく自分に言い聞かせているだけだと言うことも。
「全てを白紙に戻せるなら、そうすれば君と」
「それをなさればこの国を滅ぼすことになるのがおわかりでしょう?」
 リディスは男の繰り言を遮るように抱擁から逃れた。
「だがっ、それでは私の気持ちはどうなるっ? 君へのこの気持ちはっ」
 雲が切れ、差し込んだ月光に男の髪が  この国王族であることを示す青銀の髪が煌めいた。
「おわかりなのでしょう、殿下」
 バラクトの王子ジェラルドは、隣国の王女と婚約し、もうすぐ結婚を控えていた。
 本来なら隣国コスティートは大国であり、バラクトへ第一王女を嫁すことなど考えもしなかっただろう。
 だが、ジェラルドには予言があった。
   バラクト王の子は神の祝福を受け、世界を統一するであろう。
 3年前、まだ即位する前の祭りの日、正体不明の不思議な男が述べた予言が。
 そして、父王と隣国の王の間で話は進められていったのだ。
 全てを白紙に戻すことは隣国との戦を意味する。
 本来国王となれば妻の他に愛人がいるのが普通とも言えたが、リディスはサンモーガン家の、バラクト生え抜きの貴族の娘であり、城内の勢力が二分するのは火を見るより明らかだった。
 ましてや、ジェラルドの心がリディスにあるとなれば、なおさらだ。
 白紙に戻すべきなのはリディスとの関係なのだ。
 だが、そう出来ないほど二人は愛し合っていた。
 どちらも白紙に戻すことが出来ない以上、リディスは日陰の身でいるしかなかった。
 ジェラルドはそんなリディスの想いを察したかのように、優しく肩を抱いた。

2005.05.09 inserted by FC2 system