009. モノ

「ふざけてんじゃねぇぞ、この(アマ)っ!」
 世話になった娼館の女性達に農園で採れた林檎を届けにきたルビーと、それについてきたフェリアを出迎えたのは男の濁声と、怒声とともに容赦なくぶたれて倒れ伏す女性の姿だった。
 一瞬竦んだものの、
「シビル姉さんっ」
 ルビーは悲鳴めいた声を上げ女性に駆け寄った。
「ルビー?」
 驚いたように顔を上げたシビルの唇からは血がしたたっている。
「驚いた。ルビーじゃねぇか。わざわざ戻って来たのかよ」
 下卑たえ笑みを浮かべた男は娼館の用心棒のアルマンゾだった。
 もっとも娼館を無頼の者たちから守るよりも、自分の欲望の方を優先させる男だとフェリアは聞いたことがあった。
「ち、ちが……」
 否定する声は小さくアルマンゾは残虐で満足気な笑みを浮かべた。
 だが、毛深い手はルビーに触れる寸前で止まる。
 フェリアの冷ややかな、強い敵意のこもった眼差しに気付いたようだった。
「こ、小娘っ、貴様がなんでここにっ?」」
 アルマンゾは居心地悪そうに視線を彷徨わせ、結局口の中で仕事があったんだというようなことを呟いて館の中に消えた。
「リア、あいつ知ってるの?」
 彼の意外な振る舞いに驚いたらしいルビーに訊ねられ、フェリアは返答に困る。
 アルマンゾの顔や所業を知っているのは道場破りをしていたとき情報を集めていたころのことで、ルビーの受け出し金と借金返済のために道場破りをしていたことは秘密にしているのだ。
  うん。前にちょっとね」
 フェリアらしくない歯切れの悪い様子にルビーは首を傾げるが、
「その人手当て早い方がいいんじゃない?」
 と言うと、すっかりシビルのことを忘れていたことを思い出すと同時に疑問も忘れてくれたようだった。
 館の中に戻りシビルを座らせたところへフェリアは水を運んだ。
「ありがとうね、ルビー。それにお嬢ちゃんも」
 シビルは痛そうに眉をしかめながら笑う。
「なんでぶたれたの?」
「アイツがね、オレがいるからこの館は安全なんだ、なんてほざいて無料(タダ)でやらせろって言うからさ、お断わりだよって言ってやったのさ」
 シビルは自嘲気味に笑うと、
「ま、アタシらは商品(モノ)だからね。こんな風にしちゃあ、今度こそチェリーかあさんが何とか言ってくれるかもしれないねぇ」
 鏡を覗き込みながら、晴れ上がった頬を撫でつつ諦めた口調で言う。
 チェリーかあさんというのはこの館を営んでいるレイチェル=ドルドフのことだろう。
 こういった館を切り盛りしている割には優しげな印象のある女性だった。
「アイツが来るまではここもまだマシなところだったんだけどねぇ」
 シビルのため息に、ルビーは身を震わせる。何か厭なことがあったに違いないと察し、フェリアは拳を握りしめた。
 だが、それにも増して、
「モノだなんて言わないでよ」
 自分を「モノ」というシビルが哀しかった。
「ま、あんたのようなお育ちのいいお嬢ちゃんにゃわからないかね」
「わかんないよ。だって、生きてるならモノじゃないっ、モノになるのは死んだ人間だもんっ。お姉さんは生きてるのに死んでるのと同じだって言うの? アイツのせ−でそうなの?」
 死んでしまった母は、母の姿をした抜け殻だった。
 死ぬということは「モノ」になることであり、自分を「モノ」と言うのは、生きながら死んでいるということではないのか。
 真剣な表情で言い募るフェリアを、ルビーとシビルは驚きの眼差しで凝視する。
  やがて、
「そうだね。アタシらまで自分をモノだなんて言っちゃあおしまいなのかもね。アルマンゾの下司野郎たちから見りゃあ、アタシたちはモノかもしれない。けど、アタシたちだって生きてんだからね」
 シビルは肩の力を抜いたように笑った。
「けどね、お嬢ちゃん。アルマンゾだけが悪いんじゃない。たとえ、ここでチェリーかあさんがアイツを馘にしたって、用心棒は必要なんだ。だから、結局は同じなのさ」
 諭すように言われ、フェリアは唇を噛み締めて俯いた。
 そしてなんとも気まずい思いで娼館を後にした帰り道、
「やっぱりやだ。おかし−もん」
「え?」
 不意に足を止めたフェリアに、ルビーは怪訝そうに振り返った。
「絶対おかしいよ。生きてるのに、死んでるみたいな生き方おかしいっ!」
「おかしいって……でも、わたしたちに何が出来るの? 無理だよ。リアは何も知らないからそんな風に簡単に言えるの。ひどい客や嫌がらせしてくる他の店の奴がほんとに多いんだから!」
 ルビーはフェリアと話していると、ときどき見せる苛々としたしゃべり方で言いつのった。
「確かにあたしはそんなこと知らなかった。でも、今は知ってる。知ってるのに何もできないってやる前からあきらめるのはやだ」
 だがフェリアは気にせず、きっぱりとした口調で宣言する。
「あたしはだれにも死人(モノ)みたいな生き方なんてさせたくない」
 方法はわからない。何をすればよいのかもまだはっきりしない。
 だが、思いだけは強く真剣だった。


2005.04.17 inserted by FC2 system