007.負けられん

「この辺りだと言ってたんだがな」
 バラクト王国の騎士ランス=ローゼンフェルトは、いつもののんびりとした口調で言った。
 人によって意見は様々だが、彼の評価は大きく二つに分かれる。
 柔和と脆弱。
 それは、彼の人なつっこい顔立ちと雰囲気の柔らかさから来るものなのだろうが、実際にはこのバラクトでも3本の指に入る剣豪だし、頭も切れる。
 彼の従騎士を拝命して以来行動を共にしてきたジョゼフィ=バームは胸を張って、それは保証できる。
「そんなに重要なことなんですか?」
「うん? うーん。そうだなぁ。やっぱりお家騒動にも発展しかねないしな」
 ランスは微妙に言葉を濁す。
「本当の話なのでしょうか?」
「そうだな。ディーゴも本人が会ったわけじゃなく、あくまでうわさ話として耳にしたってことだったし。確かににわかには信じがたい話だろうな」
 ディーゴ=ディルキアスは、ランスの友人であり、街で剣術の道場を開いている人物なのだそうだ。
 その彼が街にある道場を片っ端から荒らしては、看板の代わりに金銭を要求していく少女がいるという話をしていたというのだ。
 そして、その少女は青銀の髪をし、肩に妖精を載せているらしいとも。
 あまりにもできすぎた話に、ジョゼフィははじめ都市伝説の一つかと思ったくらいであったが、ランスはこうして調べにきている。
 なぜなら、この国では青銀の髪といえば、王侯貴族の血をひいていることを意味するからである。
 ディーゴは「別に道場破りされてるとこは悪質なとこばかりだから、問題ないとも言えるんだけどな」と笑い飛ばしたらしいのだが、無用な争いの種は早々に排除するに限るとランスは考えたようだった。
「いた」
 ランスは低く呟くと素早く馬を下り、道ばたを歩いている少女の方へと駆け出す。
「道場破りのお嬢さん、少し時間をもらえないかな?」
 振り向いた少女に、ジョゼフィは心臓がスキップするのを感じた。そして、そんな自分に戸惑う。
 光の粒子が滑り降りていきそうな艶やかな青銀の髪、血の色が透けたようなバラ色の頬と大きな目。まるで人形のように整った造作ではある。だが、単純に美少女だの、可愛いだのと評することを拒絶する強さがあった。
 それは、鋭い光を宿した瞳と、意志の強さを示すように引き結ばれた唇のせいかもしれない。
 とはいえ、相手は恐らくまだ10歳に満たないと思われ、ジョゼフィは圧倒され、見惚れてしまった自分を恥じた。
  そこで止まってくれるならいーよ」
 少女は値踏みするようにランスと彼を見やり、左手を突き出して生意気な口調で応じた。
「……わかった」
 ランスは意外そうに目を見開き、それから笑った。
「まさか道場破りやめなさいって、わざわざ騎士のおじちゃんが言いに来たの?」
 首を傾げる少女に、ランスは笑って首を横に振る。
「いや。道場破りをしているのはどんなお嬢さんかと思って逢いに来たんだ」
「ほらぁ、だから言わんこっちゃないーっ。リア、逃げようよぉ」
 情けない声の主は少女の肩に座っていた妖精のもののようだが、小さな身体の割によく聞こえた。
「リア、か。可愛い名前だね」
「うるさいよ、あたしは悪いことしてないもん。逃げる必要ないもん。自分でつけたわけじゃないけれど、褒めてくれてありがとう」
 妖精とランスに律儀に応じたのち、
「で、逢ってどーするつもりだったの?」
「うーん。別に。逢ってみたかっただけさ」
「あたしが道場破りしてるから? それとも髪のせい?」
 リアはまた首を傾げ、
「両方?」
 問いを重ねる。
「正解だ。話が早くて助かるよ」
「道場破りはもうしないし、髪は生まれつき。いじょー」
「何でもうしないの?」
 無邪気とも言える口調でランスが問うと、リアは一瞬困ったように視線を彷徨わせ、
「……飽きたから」
「飽きたっ? 道場破りは遊びじゃないんだぞっ?」
 思わずジョゼフィが声を荒げると、
「遊びかどうかは人それぞれでしょ? おにーちゃんたちが女の人買うのは遊びでも、変われた女の子は遊びじゃないんだから」
 大きな目が苛烈な光を放ち、冷ややかにジョゼフィを射抜く。
 言っている内容は的はずれなような気もするが、その気迫に圧される。
「ともかく、あたしは道場破りはもうしないの  動かないでね」
 一歩踏み出そうとしていたランスは、
「そんなに警戒しなくてもいいんじゃないかな? いざとなれば、得意の剣で切り抜ければいいだろう? 君にはその小さなお友だちもいるんだからね」
 冗談めかして、リアの肩に乗っている妖精を指さす。
 すると、リアは軽く肩を竦め、
「おじちゃん、人の良さそうな顔をして意外とずるいね」
「狡い?」
「だって、おじちゃんは自分があたしより強いってわかってるもん。自分の方が強いってわかってるのにそそのかすのはたちが悪いっていうんだよ。じゃーねっ」
「あっ」
 軽く手を振ると、リアは走ってきた辻馬車の後部へ身軽に飛びついて去っていく。
「こりゃー、予想以上だなぁ」
 追いかける素振りすら見せず、ランスは嬉しそうに笑う。
 掛け値なしに嬉しそうな彼を見ることは滅多にない。
「確かに並の奴らじゃあの子には敵わないだろうなぁ。ジョゼフィ、お前はまだあの子と剣を交えようなんて考えない方がいいぞ」
「えっ? そ、そんな」
  ほらな。わかってない。あの子はお前より強いし、聡い。あの子は絶対にこっちの剣の間合いに入ろうとはしなかったからな」
 言われて初めて、何故リアがランスとの距離をかたくなに保とうとしていたかの意味を知る。
「お前はまだまだ修行が必要だな」
 痛いほど強く肩を叩かれ、ジョゼフィは拳を握ると、
「ずぅえったい負けられんっ」
 強い口調で呟いたのだった。
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