008. 群

 人は群れる生き物である。
 複数の人間が集まれば、その中でいつの間にか指示を出すもの、その指示に従うものが出てくる。
 その中で反目するものがあれば、出ていったり、排除されたりする。
 出て行けるものであれば問題はないのだけれど、群れから弾かれることによって淘汰されてしまう、生きていけなくなってしまう場合もある。
 それが、「学校は行かなくてもいいものである」っていうことを言う人たちにはわかっていないのかな、と思う。
 もちろん、「学校は必要がなければ行かなくてもいい場所」ではあります。
 けれど、「行かないと、変な目で見られる」ということでもあります。
 世の中、変わりつつありますが、やっぱり10代の男女が昼日中からうろついていたら、「学校は?」とか思ったりしますね。
 まぁ、私の頭が固いだけかもしれませんが。
 
 脱・学歴社会なんて言っていますが、職場では未だに学歴で給料が差別されていますし、学歴によって取れない資格というのもあります。
 何よりも、職場の上司が「学校には行くものである」「学歴は高い方がよい」というのを金科玉条に育っている世代ですから、そこから逸脱して自分を主張するというのはなかなか難しいのではないでしょうか。
 死ぬほど辛いなら、学校に行かなくてもいい。
 行きたくないなら、行かなくてもいい。
 けれど、では、そこから先どうするの?
 
 何か生きがいがあるのならかまいません。
 けれど、ただ漫然とそこが嫌だからっていう理由で逃れてしまうと、なかなかそこから先に踏み出すのが難しいんじゃないかなって思います。
 もちろん、自分がボロボロになるまで踏みとどまれって言ってるのではありません。
 ちょっと「群れ」というと「学校」「会社」っていうくくりが思い浮かんでしまうので、上記の例を出しましたが、教育論になると長くなっちゃうので、また別のところで。
 一度逃げるくせがつくと、一生逃げ回るなんて言う人もいますが、逃げるだけ逃げちゃってから、少し冷静に自分を分析する、周囲を考えるでいいんじゃないかなって思うのです。
 だから、大事なのは群れから離れたあと、どうするかっていうことなのだと感じているのです。
 ただ、それには世の中も変わらなければならない。
 一つの群れに属しているからと言って、全てが価値観等を共有しているという考えから離れないといけない。
 あるのは「似た考えの集団」であって、決して「同じ考えの集団」ではないのだということをしっかりと認識することが大切なのだと思います。


  『群』
 
 人は何故群れるのか
 群れないと不安だからである
 
 何故不安なのか
 自分を掴めないからである
 
 何故自分を掴めないのか
 比較することが出来ないからである
 
 人は他者と比較することで己を明確にしているのである
 
 群れを外れようとして
 あがき
 傷つき
 そして気づく
 
 人が群れを外れた先にあるのは孤独なのだと
 
 群れを外れてみて
 考え
 己を顧み
 そして気づく
 
 人は群れを離れて誇りを持つのだと……
inserted by FC2 system inserted by FC2 system