003. 時雨の駅



 「時雨」っていう言葉は、すごくよく耳にすると思う。
 意味が「過ぎる」から出た言葉の「通り雨」ということで、生活に密着しているからなのかもしれない。
 雨の呼び方と言っていいのか、とにかく「時雨」なんかで思い出すのは、この文章。
 たとえば雨。
 秋の雨についてだけ言っても「秋雨」「時雨」「蕭雨(しょうう)」などがあり、また、雨の降り方を表現するのにも、「霧雨」「小糠雨」「霖雨」「宿雨」など、日本語はいろいろな言い方をしてきました。
 けれども、どうでしょうか。
 今は雨を言い表すのに、どれくらいのボキャブラリーを、わたしたちは使っているでしょうか。
『きみに宛てた手紙』 長田 弘(おさだひろし)より引用
 の文章を読んで、確かにな〜って思ったことがある。
恥じた具ちなみに、「蕭雨=しとしと降り続くもの淋しい雨」「小糠雨=細かい雨」「霖雨=幾日も降り続く雨」「宿雨=@連日降り続く雨。A前夜からの雨」となります。
 「蕭雨」にいたっては、電子辞書なせいか、辞書ですら出てきませんでした。
 それだけ、日頃使わなくなっているっていうことなんでしょう。
 「驟雨(しゅうう)=急に降り出し、間もなく止んでしまう雨。にわか雨」なんてのもありますが、小説で初めて見たときには、「どんな雨?」と首を傾げたものです。

 私は空の写真を撮るのも好きですが、雲の名前もいっぱいありますよね。
 気象予報士の勉強をしてる人によれば、10種類くらい大ざっぱにあるのだとか。
 積乱雲だの、なんだのと言うのだって覚えられないくらいですから、どんな呼び方をするのか、なんて覚えてられません。
 せいぜい「鰯雲」とか「羊雲」とか「入道雲」とか、「飛行機雲」なんていった、よく耳にするものくらいですね。
 ですが、雲から派生する「曇り」についても、実は沢山あったりするから大変です。
 試しに「ぐもり」で逆引きしてみると、出るわ出るわ。
「朝曇り」「雨曇り」「薄曇」「卯の花曇=卯の花が咲くころの曇天」「潮曇り=潮気のために海上が曇ること」「霜曇り=霜のおくような夜の寒さに空の曇ること」「空曇り=空が曇っていること」「高曇り=空高く雲がかかって曇っていること」「棚曇り=空が一面に曇ること」「鳥曇り=日本で越冬した渡り鳥が北へ去る頃の曇り空」「鰊曇り=北海道の日本海側で、ニシンの漁期である4月前後に多い曇り空」「花曇り=桜の咲くころ、空が薄く曇っていること」「本曇り=空がすっかりくもること」「夕曇り」「雪曇り=雪雲のために空が曇ること。空が曇って雪模様になること」。
 気象用語では、「本曇り」が曇りと同じ意味に用いたようですね。
 俳句などをたしなまれる方には、「何を?」という常識なのでしょうけれど、私などどれを知っていた? と数え上げるのもお恥ずかしい状態。

美しい日本語を! などと叫ばれていますが、そのためには「季節感」だったりを大事にしなくてはならないんだな、としみじみ思いました。
 ですが、その後に、「南北に長い日本列島で、こんだけ情報が速やかに行き渡るっていうのに、どうすれっちゅーんじゃっ!」という疑問もわき起こります。
 先日のお天気予報。
 「紅葉狩りには…」と言われたときには、とってもとっても違和感がありましたから。
 何しろ、北海道に住む私です。
 既にお外は「朝起きたら、真っ白かしら〜♪」という季節です。

 思えば、国語の授業で、「いいか、お前ら。枯野の季語は「冬」だからなっ! 北海道では「秋」だが、「冬」なんだぞっ!」と教わったのをしみじみと思い出します。
 お料理の服部先生が書かれた本を読んだとき、日本の旬っていうのは旧暦で考えられてい
る。だから、桃の節句にはまぐりを食べるけれども、実ははまぐりの旬は5月くらいになるんだ。
と書かれていて、なるほどっ! と思ったのも覚えています。
 旧暦で言うならば3月は弥生。
 季節は春。
 (睦月・如月・弥生は春。卯月・皐月・水無月は夏。文月・葉月・長月は秋。神無月・霜月・師走は冬)旧暦は、現在と2ヶ月ほどズレがあるようだけれども、それはあくまで都でのお話。
 そうそう、このズレがあるから、梅雨で大雨っぽい6月なのに水無月だし、夏まっさかりの7月なのに、秋の夜長に文でもしたためようかって文月なんですよね。
 まぁ、それは置いておいて。
 更に蝦夷の地まで来ちゃったらあなた……という状態。
 本当に季節感も難しいですね。
 
 あぁ、そういう意味で、無難な時雨なんていうのが、耳に馴染んでいるのかも。
 「過ぎる」と言えば、駅もそうですね。
 
 人は色々なものを過ぎて過ごしていく。
  そして、その中で何かを得、何かを失っていくということなのでしょう。
 けれど、失ったものをくよくよしても仕方がないし、得たものをもてあますのももったいない。
 そういう意味で、色々なことを楽しめる自分。
 「嘯風弄月(しょうふうろうげつ)」とは、自然の美しさや風情を楽しむことを例える言葉。
 季節を含め、過ぎることを楽しめる自分っていうのになりたいものですね。


『時雨の駅』
 唐突に降り出した雨。
 こういうのを時雨っていうんだったっけ。
 近くにあった駅で雨宿りできたのはラッキーだったな。
 こうしてぼんやりと過ごす時間っていうのも、なかなかない。
 雨は次から次へと降ってくる。
 同じようで、違う。
 駅も電車が通過するだけ。
 現在・過去・未来。
 過去も未来も、今はここにないもの。
 でも、一秒前だって既に過去。
 そう考えると、「現在」ってすごく曖昧な言葉だ。
 まるで駅のよう。
 そこにとどまるわけではなく、かといってなければ誰もどこにも止まれない。
 本当に、今、ここで考えている時間だけが「現在」なのかもしれない。
 そう思うと、とても不思議だった。
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