049. 思い出せない

「おっちゃんっ、おはようっ」
 今日も朝から子ども特有の元気な声が弾ける。
 声の主はフェリア=トレスタ=サンモーガン。彼、サリウス=ヴァン=デジレの初めてで、そして唯一の弟子だ。
 見た目は青銀の髪も艶やかな、飾っておきたいほどのもの。
 まだ幼女と言っても良い年齢であるのに、美しいと形容できるというのはたいしたものだろう。
 だが、その内面は、
「おっちゃんてば、まぁーだ寝てたの? 昨夜どっかでまた「オトナのオシゴト」とかいうやつでもしてたの? それとも、お金落ちてないか歩き回ってつかれてるの?」
 十中八九殴り倒して埋めたくなること請け合いである生意気さである。
 耳学問による知識と、思慮配慮の欠片もない論理に、サリウス自身、何度怒り心頭を発したかわからない。
 始末に悪いのは、彼女に悪意も底意もなく素直に思ったことをいっているところだろう。
 彼女に対する怒りではなく、自分の中のやましさに思い至ってしまうのだ。
 根本にあるのが、純粋で素朴な疑問だから手に負えない。
「俺をどういう人間だと思ってんだ?」
「んっとね」
「いいっ! 答えんでいいっ!」
 何と言われるかは大方見当が付くので、サリウスは大声で遮った。
「自分が訊いたくせに」
「独り言だっ! 独り言っ!」
「ひとりごとは、年取った証拠だってロッテさんが」
「うっさいわっ」
「おっちゃん、今朝はずいぶんゴキゲンナナメだね。お腹空いてるせい? ところで、ナナメってことは普段はキゲンってまっすぐなの?」
 不思議そうに首をひねられ、サリウスは気分を入れ替えるべく深呼吸する。
「腹は減ってる。機嫌がどうなのかは知らん」
 ついついかつての栄光を思い出しつつ、昨夜深酒をしてしまったせいか、夢見が悪かっただけなのだ。
 フェリアに当たるのは間違っている。
「お腹空いてると、嫌な気分にはなるよね。はいっ」
 満面の笑みとともに差し出されるバスケット。
「ありがとな」
 稽古をつけることの対価とはいえ、フェリアが毎日やってきて、おおむね楽しく会話をしながら食事ができるのは心密かな楽しみだった。
 他愛のないやりとりののち、不意に、
「ねぇ、おっちゃん。今日は何の日だ?」
 期待に満ちた目で尋ねられた。
「へ?」
 フェリアの表情は輝かんばかりで、彼が言い当てるに違いないと信じていること間違いなしだ。
「あー」
 フェリアの誕生日ではないし、もちろん彼の誕生日でもない。
 出会ってから数ヶ月では、2人に関する記念の日でもないだろう。となれば、何か約束をしたということだろうが。
 瞬時にそこまで考えたものの、肝心の答えはわからない。
 下手なことを言えば、忘れた罰として何をさせられるかわからない。
「わかんないの?」
「や。いや、待て。えーっとだな」
「あー、とかえー、とか言うときは、すぐに答えが出てこないときだって」
「だから、うっさいわっ」
 律儀に突っ込みを入れながらも、サリウスは必死に考える。
 いったいフェリアと何を約束したのか。
 必死になって思い出そうとするが、何も思い浮かばない。
「……降参。何の日だ?」
 とうとう降参した彼に、フェリアは満面の笑みを浮かべ、
「ふふふー。今日はね、裏庭で子猫が生まれた日なんだよー」
  わかるかぁぁぁぁぁぁっっ」
 罪悪感や屈辱を感じていたサリウスは思わず大声で叫んでいたのだった。
 フェリアとの会話は楽しい、おおむね楽しいとサリウスは思っている  ときにこうしたこともあるけれども。

2005.09.24

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