093. 煉瓦


 自分の部屋で本を読んでいたサリウスは、娼館の中にすさまじい殺気を感じて、傍らの剣を手に取る。
 だが、その殺気の正体を探るよりも早く、遠くの方から、軽い足音と、
「ばかーっ! リアのばかーっ!」
 薄羽族のフェリックの声が聞こえてくる。
 彼の声は、小人とは思えないほどの声量で普通に対話できるが、今は恐怖に彩られ、相当大きく聞こえてくる。
 警戒しながらドアを開けると、
「おっちゃんっ! 逃げようっ!」
 必死の形相のフェリアが飛び込んでくる。
 日ごろ、「生意気」「傍若無人」という言葉がぴったりの彼女には珍しい、というより、初めて見たかもしれない表情で、一瞬動きを止めてしまう。
 だが、その後に続く気配に、鳥肌が立つ。
「おっちゃんっ、早くっ!」
「お、おう」
 事情はわからないものの、窓から外に出ようかと思ったが、殺気の主の方が早かった。
「え……ランス?」
  いらんこと吹き込んだのは、貴様かぁっっ!」
「お、うぉわぉうっ?」
 いつもは穏健な紳士といった風情のランス=ローゼンフェルトが、顔を煉瓦色に染めて、剣を振り下ろす。
 咄嗟に受け止めたものの、一瞬手が痺れるほどの重たい剣戟に、サリウスも動揺を隠せない。
「ち、ち、ちょっと」
「問答無用ぉっ!」
「お、落ち着けぇっっ」
 ランスがサリウスの渾身の蹴りを交わしたところに、
「ごめんっ!」
 フェリアの足払いが決まる。
「えらいっ、リアっ!」
「えーいっ!」
 フェリックが何事か呟きながら、ランスの顔面に両手をかざすと、不意に彼の全身から力が抜けた。
「フェイ、えらいっ! そっかー、最初から眠らせちゃえば良かったのか」
 フェリアは、「へたへた」とばかりにその場に座り込んだ。
「……いったい何がどうなってんだよ?」
 本来であれば、ランスより彼の方が腕は上だが、今日のランスの殺気は尋常ではなかった。
 久しぶりに命の危機すら感じたのだ。
「うーん……こんなに怒るとは思わなかったんだよね」
「てか、人間の顔が煉瓦色になることあるんだね」
「ねー」
 暢気な会話を繰り広げるフェリアとフェリックを横目に、とりあえずランスを縛っておこうと決めたサリウスだった。

 2016年01月20日
 
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