082. 濁り
街の見回りに出ていたランスは、尋常ならざる気配を感じ迷わずそちらへ向かった。
下町までは来たことがあったが、その奥に踏み込んだことがなかった彼だが、高まる剣気が標となって、迷うことはなかった。
気配を殺しながら辿り着いた山奥の掘っ立て小屋の前で、剣を構え、精神統一していたらしいサリウスが鋭い殺気と視線を向けてきた。
「私です、すみません」
気配を消していたが、あれほど気を研ぎ澄ませていた彼ならば気付くはずだ。
何も言わずにいれば、問答無用で斬りかかられても仕方がない、ランスはゆっくりと姿を見せた。
「なんだ、あんたか……」
「珍しいですね、こんなところで」
「ん? あぁ……元々俺、ここで嬢ちゃんに剣を教えてたからな」
見られたくなかったのかサリウスは気まずそうに剣を鞘に収める。
「修行、ですか?」
確かに彼は、この大陸でも指折りの剣士として数えられる腕前だが、どちらかというと、天賦の才を伸ばし切れていない印象があっただけに意外だった。
「どうせ、俺は自分をいじめ抜く修行は嫌いだよ」
そんなランスの心の内を正確に見抜いたのか、サリウスは面倒くさそうに頭をかく。
「けどよぉ、嬢ちゃん、黒衣(こくえ)を目指すとか言い出すし、俺もうかうかしてられないわけよ」
「黒衣、とは、あの白衣(びゃくえ)の魔導師伝説の?」
ランスは首を傾げる。
この大陸にも、不思議な伝説はいくつかあるが、その中でも有名なのが、「白衣と黒衣の魔導師」の伝説だ。
強大な力を誇る二人の魔導師。
白衣はあらゆる魔法に精通し、魔物をも支配下に置き、黒衣は巧みな魔法と、凄絶な剣の腕を持つ魔法剣士で、白衣と常に共にあったとされている。
「確かに、彼女は今貴方に剣を習い、ハリエットさんに魔法を習ってますから、魔法剣士にはなれますね」
「そゆこと。師匠がいいから剣の腕は上がってるし、そこに魔法使われたら、さすがの俺も足下すくわれるかもしらんし」
溜息を吐きつつも、彼の表情は嬉しそうに見える。
「嬢ちゃんにとっては、俺はいつでも、強い師匠でいたいわけ」
照れくさそうに言う彼に、ランスは何か言いようのない、不快感が募る。
初めて会ったとき、サリウスは物憂げな様子で、国に仕えていた。
特別な思いもなく、ただその国に生まれ、ただ天賦の才に恵まれて、剣術指南の地位に就いていたことが窺えた。
一方彼は、この国に生まれ、ジェラルドに仕えることを喜びとしていた。
御前試合では負けはしたものの、無敗を誇っていたサリウスから一本取ったことで、バラクト国の、先王とジェラルドの面目を保ったことを誇りに思った。
だが、今は?
サリウスはしがらみを抜け、自分が見出した……ここにフェリアがいれば、「あたしが拾ったっ!」と声を上げるだろうが……フェリアという弟子に自分の全てを伝えることに全霊を傾けている。
ランスは国王の命を受けているが故に、堂々とフェリアと向き合うことが出来ない部分がある。
国王のやり方に思うところがあっても、言えずに口を噤んでいる。
そういったことが、積もり積もって、彼の心の中に濁りを生んでいるのだ。
だが、国と王への忠信が篤い彼は、まだそれに気付かずに、目をそらして考えずにいた。
「……なぁ」
「えっ? はい」
自分の中の説明できない感情に囚われていたランスは、サリウスが彼を見つめていたことにも気付かず、声を掛けられ、我に返った。
「どーせだから、ちょっくら修行に付き合わね? ほれ、さすがに俺の相手になる奴もほいほいいねーし」
サリウスは改めて剣を抜き、ゆっくりと構える。
「お前さんだって、この国じゃ全力で打ち合える奴、いねぇーんじゃねーの?」
「……そうですね」
自分の心の内がわからないながらも、今はがむしゃらに修行したときのような気持ちが必要なのかもしれない、とランスは剣を抜いた。
2015年11月11日
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