077. 雨



 久しぶりにフェリアがやってくるようになったと耳にし、ランスは逸る気持ちを抑えつつも、足早に娼館へと向かっていた。
 生憎の雨ではあったが、嬉しい気持ちが強く、さほど気にならなかった。
「?」
 もうすぐ娼館が見えてくるとなれば、さらに足は速まる。
 だが、ふと視界の隅に違和感を感じ、そちらへ目を向け、
「リアっ?」
 ランスは思わず声を上げる。
  あ、ランスさん」
 いつから雨の中立っていたのかわからないが、フェリアの唇は青く、濡れそぼったその身体は細かく震えていた。
「こんなところでどうしたんだ?」
 慌てて傘を差し掛けるが、身体の芯まで濡れているような今の状態では意味はなく、一刻も早く温めなければ、酷い風邪を引くことは間違いなかった。
「んと……フェイを置いてきちゃったから」
 歯の根も合わない様子ながら、何とか笑おうとして見せたが、不意にその大きな目が潤む。
「置いてきたって……娼館か?」
 フェリアは頷いたまま、面を伏せる。
 涙を見せたくなかったのだろうこと、何があったのかを聞いても答えないだろうということは察せられた。
「私と一緒にフェリックを迎えに行こう?」
 ランスにはそう提案するだけで精一杯だった。
「……ありがと……でも、もうちょっと……待って……ね」
 嗚咽を飲み込もうとするのが痛ましくて、ランスは思わず彼女を抱き締めようとしたが、フェリアは素早く身を離す。
 ここは娼館から見えないが、遠いわけではない。
 いつも一緒にいる妖精のフェリックが娼館にいると言うのならば、彼女も元々はそこにいたはずだ。
 何かがあって出てきてしまったものの、戻るに戻れないのだろう。
「リア、泣きたいときに泣いてもかまわないんだよ? 私は誰にも言わないと約束する」
 拒絶の仕草に傷つきながらも、ランスは穏やかに語りかける。
 だが、フェリアは、
「……泣くことがあったんだって、みんなに思われるもの」
 頑なに首を横に振る。
「ランスさんに甘えたら、泣いちゃうから」
 震える声にランスは胸をつかれる。
 彼女の母である、リディスは未婚のままフェリアを生んだことで、周囲からの好奇の眼差しに晒され続けていた。
 サンモーガン家の一人娘であるばかりに、そのやっかみや足の引っ張りはすさまじいものだったと推測される。
 フェリアは、その母を傍で見ていたのだ。
 彼女が何かをすれば、すべてが母への攻撃へと転じる。
 ランスの知るフェリア=トレスタ=サンモーガンと、リアは共通点が全くない。
 それほど自分を押し殺しているのだ。
 日ごろのリアを見ていると誤魔化されてしまうが、彼女の境遇は決して順風満帆とは言えないのだ。
 こうして哀しみの雨に一人で打たれてたことも、一度や二度ではないだろう。
 フェリアは、何度か大きく深呼吸したかと思うと、
「ごめんね、ランスさん。ランスさんも濡れちゃったね」
 いつも通りに笑ってみせた。
「フェイも心配してると思うから」
「……そうだね」
 その笑顔に、ランスはそれしか言えなかった。
 彼が手を差し出しても、フェリアがそれを取ることはないだろう。
 それは、誰の手も同じ。
 彼女に降りかかる雨を止めることも、彼女を思う存分泣かせることも、誰にもできない、させてもらえない。
 そのことに、ランスは初めて気付かされたのだった。


 2015年10月29日

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