100. 終わり


「おっちゃん、やっほぉ」
「リアっ?」
 珍しく夜中に娼館を訪れたフェリアに、一人酒を飲んでいたサリウスは驚きの声を挙げる。
「どーしたんだ?」
「んー。ちょっと眠れなくて……そっちに行ってもいーい?」
「お、おう。一人だからかまわんぞ」
「ありがと」
 フェリアは嬉しそうに笑うと、その身が大地の軛から解き放たれるように浮き上がる。
 慌てて窓辺から身を避けた彼の横をすり抜けるように、彼女は部屋に入ってくる。
 月明かりの中、宙を舞うように漂う彼女は、魔法を使っているだけだということや、その性格の実態を知る彼の目にさえ、この世ならぬ、美しく儚げなものに見えた。
 もうすぐ一六歳になる彼女は、美しく成長してはいても、まだ「女くささ」を感じさせない故に、余計にそう見えるのかもしれない。
 いつもの傍若無人な横紙破りな雰囲気が形を潜め、何か憂いているような表情が、その感想に拍車をかける。
「おっちゃんが、夜に一人ってゆーのも珍しいんじゃないの?」
「……そういうお前さんだって、フェイを連れてこないの珍しいじゃねーかよ」
 明日、フェリアは社交界にデビューする。
 そうなれば、今まで通りここに通ってくることも難しくなるだろう。
 ここ数年、思い悩んでいたように、貴族の娘としての責務を果たさねばならなくなるだろう。
 そんな感傷に浸っていたことを悟られるのが嫌で、サリウスは言わずもがなのことを指摘した。
「うん。フェイは、変に気を回すから。ぐっすり寝てたし、今日は置いてきちゃった」
 穏やかに笑う彼女に、サリウスは拳を握りしめる。
 貴族社会を疎み、結婚を厭い、自由を望みながらも、彼女は家族を愛していたから、彼のように全てを捨てることも出来ず、新しい自分を見つけに旅に出ることも出来ない。
 彼は何もなかったから、全てを捨てられたのだ。
 フェリアに会わなければ、この命すら捨てていたかもしれない。
「おっちゃん?」
「……いつでも来ていいんだからな。俺はここにいんだから」
  ありがと」
 フェリアは一瞬目を丸くしたあと、嬉しそうに笑った。
「朝になったら、終わりかなって思ってた」
 朝になれば、下町を自由に闊歩していた「リア」としての生活は完全に終わりを告げる。
 そう覚悟して、ここに来ていたのだろう。
「ばーか。どうせ、大人しく座ってばっかりなんていらんねーだろ」
「そーだね。おっちゃん、甲斐性なしだもんね」
 彼が手を挙げたのを見て、フェリアはいつもの拳骨がくると思ったのだろう、無駄と知りつつも身をかわそうとする。
 それを逃がさず、サリウスは彼女の頭を抱き寄せた。
「……お前は俺の弟子なんだから、師匠の面倒を見るのに終わりはねーんだよ」
「ふつーは、師匠が弟子の面倒をみるんだよ」
「普通なんて、関係ないだろ? そもそも、師弟関係になったいきさつだって普通じゃねーんだから」
「そだね」
 彼の腕の中で、フェリアが笑う気配がする。
「拾ったら、最後まで責任持たなきゃダメだよね」
「そーそー」
 悩んでいようと、落ち込んでいようと、憎まれ口は自然とついて出てくるらしいと思うと、ついつい彼女の頭を撫でる手に力が入る。
「痛い痛い」
 さほど痛がってもいない口ぶりに、サリウスは笑って更に彼女の髪をかき混ぜるように撫でる。
 彼女の子ども時代は終わりを告げる。
 だが、それは関係性の終わりまでを告げるものではない。
 そのことに、フェリアは安心したようだった。


 2016年08月05日

inserted by FC2 system